2011年9月25日日曜日

9月24日 稲刈り準備

春の田植えからおよそ4か月。手塩にかけて育てた稲が一斉に穂を垂れています。今年は低温でスタートが遅れ心配し、土壌の酸欠によるガスの発生など悩みが絶えませんでした。それでも手で藻を取り、虫を追った努力のたまものか、夏の高温に支えられたのか、その後の生育は順調でした。稲刈り1週間前の田んぼは黄金色、というにはまだやや青味がありますが、とても健康そうです。

思えば、3年前に初めて米づくりに挑戦したときは、10㌃の田んぼから収穫される米をどう乾燥して食べる状態にするのかまるで見当がつきませんでした。ハサ掛けをしようと決めたものの、子どもの頃近所で見た風景やインターネット情報は曖昧かつさまざまで、何メートルで何段のハサをどんな構造で作ったらいいのか、与えられた条件下で確信ある回答はありません。大事な米を台無しにしては大変と、インターネットや本で必死に調べ、さんざん議論し悩みながら準備しました。知り合いから、やってみたけど稲が落ちてしまったとか、はさが倒れそうになったとか聞くと、干し終わってからも少し風が吹くたびに気が気ではありませんでした。

その後、いろいろ調べるうちにハサ掛けも地域によって異なることを学びました。おそらく北海道に入植した人々はそれぞれの郷里で行われていたやり方を持ち込み、それが各地域の気象に合わせて変化したのだと思われます。2年目は杭掛けというやり方を試みましたが、ハサ掛けと比べて資材も要らず、立て込みも簡単で乾燥状態もいいことがわかりました。この方法、庄内地方の海岸部や平地部では主流だったようです。一方、ハサガケは平地の少ない場所では有効、見た目にも美しく絵になるのは間違いありません。

伝統的な知恵やプロの技に習いながら、今の自分たちの体力、財力などの条件に合い、かつ最も環境に負荷をかけない方法を編み出していくのがエコビレッジの醍醐味。よちよちと歩みながら、3年目の今年はすっかり要領を得て、準備もスムーズです。稲を束ねる藁の準備もばっちり。

「人事を尽くして天命を待つ」という心境で、まもなく稲刈りを迎えます。

2011年9月5日月曜日

9月10日(土)~未来を壊さないエネルギー~田中優さん講演会 修了

3月11日の東日本大震災以来、日本中が悩んでいるテーマです。原発の危険さ、放射能の怖さ、補助金に依存しないと成り立たない過疎地の経済、他人の弱みに付け込んで大金を稼ごうとする大企業や政治家・・・。何一つポジティブな話はありません。考えるほど腹がたったり失望したり、気分の落ち込む話題です。個人的に、原発はもちろんNOです。悪いものに反対していく姿勢は大切です。でもNOだけ言い続けていても閉塞感が増すばかり。不安がつのって根も葉もないデマにまどわされて他人を差別したり、自分だけ助かりたいという行動に走ったりする危険性もあります。多くの人が不安を抱きながら、それでも自分を変えられないと思うのは、環境や弱者に優しいエネルギーや社会の姿を具体的に描けないからでしょう。原発や化石燃料に頼らない社会は、実際どのように成り立つのでしょう。それは惨めで暗い社会の到来ではない、と私は信じています。それは、たとえば今と同じように1年中好きなものを好きなだけ食べる自由は許されないけれど、安心安全な食に恵まれ、地域が自らの資源や文化を取り戻し、活力あふれた世の中になるのだろうと想像します。

9月10日は、田中優さんをお招きして、そんな次世代のビジョンと具体的なアクションプログラムについてお話していただきました。講演会に集まったのは学生から高齢者、企業人、小さい子どもを連れた母親など158人、普段のセミナーと比べて幅広い層の参加が特徴的でした。このテーマに関する人々の感心の高さがうかがえます。

2時間という短い時間の中で、福島原発や被災地住民の状況から、原発に依存しない社会が可能であること、そのための具体的な方策が語られました。現状の法制度上では即実現はしないところが歯がゆいけれど、まずは「できるんだ」とみなが信じることが大切です。参加した一人が送ってくれた感想は「優さんのお話はいつも最後に希望があっていいですね。あとは自分が何をできるか、なにをするか。しっかりアウトプットしなくては」そう、後は私たちの行動次第だと思います。

確かにここまで複雑に絡み合い大規模に歪んだ社会は、システムを変えない限り変わらないでしょう。しかし、迷える人々をリードし、システムの変革を導くためには、要望陳情やデモだけでなく、勇気ある実践が不可欠だと思います。つまり、食やエネルギーを自給しながら大規模電力発電に依存しない暮らしが実際にやってみせること、「へえ~、そんな風にできるんだ。あっちのほうがお金もかからないし、楽しそうでいいじゃん」と人々が選択できる社会をリアルに提示することができれば、その実現を早めることができるのと思います。エコビレッジは、個人のライフスタイルを超えて「権力を握らずに社会を変える運動(糸長)」であると改めて思いました。

2011年9月4日日曜日

鶏を食べるためには

去年もそうだったけれど、屠畜実習の直前は、何とか自分はやらないで済む理由を探していました。会員さんの中には、このことが3日も前から気になって夢に出てきたという人も。映像などで見たことはあっても、やはり他の生き物の命を落とすという行為は誰もがためらうことです。ただ、「残酷、気持ち悪い」という感覚だけでこの作業をとらえてはいけないと思います。少なくとも動物の肉を食べている人たちは、必ずその前にこの作業があること、それを担ってくれる人のお世話になっていることを自覚する必要があると思うのです。そう思って、「私も1年に一回くらいはやるか・・・」とこの日も参加しました。

今日の講師はファームレラ(東川町)の新田由憲さん。実習用の鶏8羽は、メノビレッジからいただいてきました。2歳くらいのまだ比較的若い鶏ですが、一般の養鶏業ではもっと若くても産卵のペースが落ちてくると廃鶏になるようです。一人一羽ずつ、次の人に身体を押さえてもらいながら首を落としました。新田さんのリードはてきぱきとしていて、深刻な顔の受講生の緊張を解くようにスピーディーでした。おかげで、私自身はあまり恐怖感を覚えずに作業として鶏に向かうことができました。とは言え、鶏が必死にもがいて泣く声にみなしっかりと「生命」の手ごたえを感じたはずです。「ごめん!」という声が思わずこぼれました。「生き物を飼って肉にするって、相当な決意と覚悟が必要なんだと感じました。そして体力と手間がかかるのですね」と参加した女性。

首を落とした鶏の血を抜いて、お湯につけて毛をむしります。毛がなくなると生き物の死体が次第に肉に見えてくるから不思議。次に、手足を取り外し内臓をきれいに外に出す壺抜きの作業をします。腸や胃袋、ちゃんと殻に入った卵も出てきました。新田さんが「これが心臓、これが砂肝・・・、砂肝を割ると中に食べたエサが見えるだろう」と解説してくれるのが理科の解剖実習のようで、気持ち悪いという印象がなくなりました。(ちなみに、ここまで業者さんに頼むと一羽500円ですって!)その後は部位ごとに切り分けていく作業を行いました。この辺は料理感覚です。それにしても、ここまでの工程の長かったこと。私たちが3時間近くかけて行った作業を、プロの業者さんはあっという間に行うそうですが、それでも決して楽しい仕事ではないですよね。



最後に燻製にした手羽を食べました。参加者の一人は「終わってからすぐ肉を食べていた自分にびっくりした。人間の食欲って怖いなとも思いました。でもこれが生きる事なんだよなと、自分の命も無駄にしてはいけないと感じました」と感想を述べています。鶏の命はもちろん、飼っている農家さんの努力、食べられる状態にする人たちの大変さをしみじみ感じながらみなで食しました。この体験の後では、宴会に山盛り出てくる焼き鳥は安すぎると感じるし、ましてそれが手もつけられずに捨てられる光景は耐えられないものになりますね。私にとって、屠畜はやっぱり辛い体験ですが、自分が食べている物をちゃんと味わうために重要な儀式みたいなものでしょうか。











新田さんは終始丁寧に解説をしてくれました。もちろん、慣れている仕事だけれど、「やっぱり好きじゃない」そうです。新田さんは、現在は養鶏家として、またファームレストラン「風土」の経営者として知られていますが、もともとは環境運動家で反原発や再生エネルギー、エコツーリズムなどいろいろな活動を先駆け的に実践してこられました。午前中の家畜の講義では、私的には、鶏の飼い方や課題以上に、新田さんの環境問題への取組み=彼の生き方、暮らし方であることに感激して聞いていました。環境問題は今でこそもっとも注目を浴びるテーマとなり、ソーラーパネルやエコ家電が一躍人気者になっていますが、使っている人々の生き方は反映しません。新田さんの歴史は、エコロジカルに生きるということがどういうことか、それもカスミを食べて引きこもっている仙人のような生き方ではなく、社会を変えていこうという運動家としての精神が一貫して見られます。「諦めず、今日コケないこと」がコツだと新田さん。高い理想に到達するために、今何をしたらいいかというバックキャスティング的な発想や、そのために一時的な戦略や妥協も必要だという点もエコビレッジを進める上での参考になりました。