2010年10月26日火曜日

1024 明峯先生講演 「なぜ私たちは自給するのか」

趣味の家庭菜園やガーデニングは確固たる市民権を得ている証拠に、書店に行けば一般向けの本がずらりと並んでいます。農業者向けの研究データや専門書も、探せば当然あります。しかし本当に「自給自足」を目指す人のための指導書は見つかりません。その技術は、前者とも後者とも大きな違いがあるのですが、「そんな読者は奇特だから」ということでしょう。あるいはそういうことを目指す人は指導書なんか読まないのか。

私たちは通年を通してできるだけ買わなくても済むように栽培したいと考えています。「何でそんな効率の悪いこと」をわざわざするのか。週末の趣味ならともかく、「自給自足」には相当の時間消費が要求されます。「買ったほうが安いでしょ」何度も言われますが、はい、その通りです。口の悪い人には「貴族趣味」と冷やかされます。

確かにスーパーに行けば大抵のものはあるし、百貨店やネットで探せばもっと特殊なものも手にはいる時代です。では何故。自分や家族の健康のため、と答える人もいると思いますが、エコビレッジでは「自給」の社会的な意義について深く考えたいと思います。

今月の座学では、このテーマについて、明峯哲夫先生(農業生物学研究室主宰)に講演していただきました。
1974年、石油パニックの真っただ中、茨城の農村地帯に反近代化を唱って「たまごの会」の自給農場はスタートしました。東京周辺の約300世帯の都市住民が自らの食べ物を自給すべく共同出資をし、経営のすべてに関わり、届けられる野菜と引き換えに生ごみを提供したのです。当時、有機農業はまだ認知される由もなく、農場コミューンは、地域からも相当異質なものとして見られたに違いありません。しかしながら、その中から一人、また一人と就農者が現れ、地域の生産者も少しずつ有機栽培を始めるようになり、今では関東周辺の有機農業をけん引する存在となっています。

先生は八郷を離れた後、81年に東京日野市で30アールの畑と水田10アールを借りて「やぼ耕作団」を立ち上げられました。東京の駅前の一等地で、10家族のメンバーが食べる野菜はほぼ完全に自給されたそうです。大豆は味噌に、小麦は乾麺に加工し、東京で唯一頭のヤギを飼い、生ごみや落ち葉で堆肥を作りました。
先生は「田を耕すことが自然の循環に連なることを学び、過度に工業化した近代の都市生活の歪に気づく。そして農の力を実感した都市民が、主体的なまちづくりに関わったり、農村に移住したりするきっかけとなる」と言われます。
「社会の異物として存在し続けること、ただし地主さんや地元生産者など地域の協力者を得るための努力も大切」とも言われ、地域との関係性のポイントについて指摘されました。

たくさんの日本人が自ら耕すようになったら、日本の都市の子供たちに笑顔が戻り、第三世界の人々の生活も改善されるかもしれません。
「闘いは楽しくやること。相手に羨ましいと思わせたら勝ち」

耕す市民革命は時間がかかるけれど、楽しそうで恰好いい、改めてその魅力の深さに感激するお話ででした。

0 件のコメント:

コメントを投稿