2011年10月30日日曜日

2011年収穫祭盛況に終わる






久々に青空が顔を出した10月最後の日曜日。収穫祭が行われました。丹精こめた貴重な実りをお世話になった方々と分かち合い、多くの人に活動をお披露目する晴れの舞台です。
お料理は担当メンバーが何週間も前からメニューを考え、下準備をし、前日はほとんど寝ずに作りました。メインディッシュはお楽しみの塩むすび。天日干しでじっくり乾燥、先週籾摺りをしたばかりの新米です。これを初めて炊くときは毎回緊張します。図らずも水加減を担当することになり、責任重大。だって5升の米なんて普段炊かないし、失敗したら大変なことに・・・。ガス釜と羽釜の二つを使い、見事ふっくらと炊きあがったご飯を見て思わず「やった~」と声をあげてしまいました。ひいき目と言われるのは承知ですが、白米だけで本当に味があるのです。これは感動しないではいられません。

おにぎりに続いて自家製野菜の汁物や煮物、サラダにデザート、ずらりと並んだ色とりどりの料理にみなで舌鼓を打ちました。 70人近くで食卓を囲む姿はまるで地球家族ですね。初めて会う方々も思わず一気に親しくなります。エコビレッジができたらこんな食卓になるのでしょうか。


屋外では足踏み脱穀や縄結い、石釜ピザづくりなど、初めての体験を楽しむ人びとで賑わいました。ピザも閉店頃には温度がちょうどよくなり、本場イタリアピザのような焼き上がり?だったとか。 お腹がいっぱいになった後は、アフリカや南米などバリエーションに富んだ音楽で盛り上がりました。今年一番のサプライズは近所の農家のおじさん(笑)がアフロヘアで登場。飛び入りのアメリカ人のベースを相手になかなか意味深い歌を披露してくれました。

2Fは雑貨やお菓子の販売、フリーマーケット。東日本被災地支援のみさんがワークショップなど、楽しい出店が所せましと並びます。エコビレッジをサポートしてくれているアーティスティックでハートフルな仲間たちです。



祭りの最後は1年間の取組みをフォトムービーで振り返りながら幕を閉じました。みんな、自分たちの努力の積み重ねと成長を感じながら誇らしい気持ちで見入っていました。本当に、外から見たら遅々たる歩みでしょうが、前にはできなかったことが少しずつだけどできるようになっている、一人でやっていたことがみんなで力を合わせてできるようになった、まるで幼子の成長のようにこの3年の成果を私自身強く感じました。そして、そんな私たちの歩みを支えてくれている素敵な仲間たちに深く感謝しました。
持続可能な社会は誰もが願うことですが、その道のりは不透明です。エコビレッジのテーマである自給自足やコミュニティも、ともすると閉じた環境を創りかねません。魅力的な場と機会を通じてさまざまな人を巻き込みながら、わくわくするような次世代の暮らしを創造していきたいと思います。

2011年10月23日日曜日

美味しいお米までもう一歩

10月23日の体験塾は、前半では総合コース中心に収穫祭に向けた打ち合わせや作業、後半は総合・田墓コース合同での座学や稲の脱穀を行いました。

4月に始まった今年の体験塾も終盤に差しかかり、メンバー同士のつながりも深くなってきました。今回のようにグループで相談しながら行う活動も、お互いに声を掛け合いながら主体的にかかわって下さり、こちらも助かっています。
また、初めはあくまで「教育サービスの受け手」として参加した方々が、この収穫祭に向けた取り組みでは「迎える側」として力を発揮して下さったことも嬉しく感じました。

さて、今回の座学のテーマは『農薬』です。体験塾に参加されている方は、一般の人よりも有機農業や自然農に対する関心が強いかと思いますが、農薬や化学肥料の知識は案外乏しいかもしれません。いたずらに嫌ったり恐れたりするのでなく、正しい知識をもとに考えていく姿勢が必要との意図で、体験塾ではこのテーマを取り上げています。
世界的な農薬問題のきっかけを作った『沈黙の春』の著者レイチェル・カーソンにスポットを当てながら、この問題の本質がどこにあるのかをみんなで考えました。

最後は稲の脱穀。6月の田植えに始まり、除草や虫取り、藻の除去など苦労の多かった田んぼの作業もいよいよ最後です。はさがけして干してあった稲が良い具合に乾燥したので、体験塾前日にメノビレッジの機械で脱穀及び籾摺りをしてもらっていたのですが、そういった作業も手で体験しておきたいと考え、1割ほどを体験用に残しておいたのです。
最初は足踏み脱穀機で、稲の穂からモミを取り外しました。続いて、同じ脱穀作業を電動脱穀機を使って行いました。私たちは、こういった比較が重要だと感じています。もちろん電動は楽なのですが、電気がないと使えないし、量によっては足踏みの方が勝手が良かったりもします。また、わたし達が借りている田んぼ1枚、1反分をすべて手作業でやろうとすれば、それはかなりの時間と労力を要することになります。「できない」のでは意味がありません。電機や石油が「安いから」「高いから」もしくは「作業が大変だから」という理由で安易に機械化を計るのでなく、また近代の技術をすべて否定するのでもなく、あくまで人間の力を主体にしながら「適正な規模」での「適正な技術」を獲得していきたいものです。これまでの常識にとらわれずに、自分たちの考え方にあった技術を考え、探していくことが大切なのでしょうね。

2011年10月21日金曜日

実りの秋に考えること

友人のご両親が営む余市の果樹園を訪ねました。今はぶどうの収穫が山場です。今年はたまたま身体を壊して収穫の作業ができないと伺い、みなで駆けつけました。 たわわになるぶどうは美しく、その風景を見ているだけで何だか豊かな気持ちになります。野菜や穀類の畑とは違った果樹園ならではのロマンティックな景観にちょっと感激しました。


今日の作業はワイナリー用の赤ぶどうの収穫です。幸い、寒くもなく暑くもなく、ちょうどよい気温。椅子に腰かけてのんびり作業しながら鼻歌も混じり・・・これはいいや、と思ったのは最初の1時間ほど。カビや腐りの入った部分を鋏で取り除く作業が結構手間で、思ったよりもはかどりません。そのうち「え~、これ、全然終わらないじゃん」「この広さを老夫婦二人で維持しているなんて」とため息が。聞けば、今週中に出荷しないと農協に引き取ってもらえないとか。時間が経つほど傷みも進むので、いずれにしても後1週間の勝負だろうということでした。


農業はいかに自然に合わせて働くかが肝です。仮に出荷や収益を度外視しても、作業に適期はつきもの。どんなに丹精込めて作っても、どんなにたくさん実っても、ベストなタイミングで収穫しなければ、それまでの努力や成果も水の泡にしてしまいます。だから、雨が降ろうが風が吹こうが必要な作業を休むわけにはいきません。
「こんなに立派に実っているのに取り残すなんてもったいない・・・」「農業をやりたい人はたくさんいるから声をかければ」みなさん、そうおっしゃいます。でも、天気や作物の状況を睨みながらたった数日から1~2週間の収穫期に十分な人を集める、またその人たちに適切に作業をしてもらう環境を整えるのも容易なことではありません。それに青空の下でリフレッシュ♪なんて日には「農業って健康的でいいわね」ということになるでしょうが、風雨に打たれて長時間その作業をする人が一体どのくらいいるでしょう。私はワインを飲まないので製造事情にも詳しくはありませんが、欧米の美味しいワインも、ひょっとしたら劣悪な環境で働く労働者に支えられているのでは・・・と思わず疑念を抱いてしまいました。まして有機無農薬栽培は、ますます手間がかかります。健康志向の消費者は少々高値でもお金を出すかもしれませんが、それでも重労働を変えることはできません。かつて英国に住んでいたころ有名な大規模オーガニック農園を訪ね、300人の季節労働者の半数以上がポーランドからの移民だと知って驚きました。一方、テレビのインタビューでは「最低時給で農業をするくらいなら生活保護をもらうよ」とイギリスの高校生。はたして日本の若者はどうでしょうか。


私たちのやっている農体験はあくまでも自分たちが食べることが目的で、現金を得るためではありません。農作業を通じて実にいろいろなことを学び、自分を鍛えることができると考えています。そして、作物栽培がなかなかお金にはならない重労働に支えられているという事実を知ることで、食べ物を安く買いたたこうなんて思わなくなるなら、それだけでも重要な体験だと思っています。プロから見たら遊びだと笑われるかもしれませんが、種を撒き大切に作物を育てて実ったときの嬉しさや自然の中で働くことの喜びは、たとえ経済的には無意味でも何事にも代えがたいものです。相変わらず巷では、口先三寸で何も生産しない仕事が大金を稼ぐ仕組みになっていますが、果たしてそんな社会に未来があるでしょうか。自然に感謝しながら汗を流し、小さな種から実りを生む労働の価値を分かち合うことのできる人びとこそが、よい社会を創ると信じます。

2011年10月8日土曜日

種をつなぐこと

10月8日のテーマは「自家採種」でした。前半は、今年度最後となる坂本一雄さんの講義。「何故タネを買わずに自分で採るのか」という自家採種の理念をお話ししていただきました。現在、農家はもちろん、家庭菜園を行う人たちでも農協やホームセンターなどで種や苗を購入して栽培を行うのが一般的です。目的に合わせて品種改良したF1品種に多くの利点があることは認めつつも、それによって失われていくものがあることも知っておく必要があると思います。日本で使用されるほぼすべてのタネが外国で生産されている点も、現在の農業が危うい状況にあることを示しているのではないでしょうか。 その土地でもっとも育ちのよいものを選別して自らタネを採る、それを繰り返すことは、本来当たり前のことでした。
後半は実習です。まずは畑を一回りしながら作物の様子を観察し、完熟して乾いてきた豆やタネ取り用として収穫せずに大きく熟させたトマトやナス、キュウリなどの実、それに2年草であるゴボウやニンジン等のタネを採集しました。「自家採種」というと技術的に難しいことを想像しがちですが、豆類などは収穫した食用から色、形のよいものを選ぶのですから特別なことはありません。豆の選別は自給農において冬の大切な仕事です。 果菜類のタネ採りは、採った実を追熟させてからの方が良いので、3日前に収穫しておいたタネ取り用の実を用いて実習しました。実を包丁で割って、中の実を取り出すのです。キュウリやトマトなどのゼリーに包まれているタネは、水で洗ってから乾燥させます。 2年草の作物は少し難しいかもしれませんが、その年に採れるものの自家採種は思いの外、簡単です。どんなタネであれ、とりあえず採って播いて栽培し、再びタネを採る・・・販売されているものと同じ性質のものは得られませんが、自分だけの品種を作る楽しみも、家庭菜園や自給的栽培の魅力の一つ。是非皆さんに挑戦していただきたいと思っています。 (写真上オクラ、下キュウリ)
講師の坂本一雄さんは、自身の農園で120種以上の作物を自家採種しておられます。そこまで行うのは一朝一夕ではできませんが、数種類ずつでも自家採種する作物を増やすことで、栽培がより豊かで楽しいものになっていくと思います。 「1人で10品目を採種するのは大変なこと。でも1人1種ずつ採種し10人が協力することで、10種のタネを得られるのです」とは坂本さんの言葉です。身近な人たちで「タネ採りの輪」を広げていきませんか。

2011年10月5日水曜日

明峯哲夫&永田まさゆき「自給的くらしの意義~震災後の社会再構築に当たって」

10月2日は札幌市西区小別沢の「農的くらしのレッスン」を訪ねました。

「くらしのレッスン」を主宰している永田さんは、東北の被災移住者に住居や物資を提供する「むすびば・受け入れ隊」の代表として、この春からこれまで約150世帯の受け入れ支援をしています。今後は、物資提供よりも、心のケアや就労など自立支援のウェイトが高くなるだろうというお話でした。永田さんは被災者に対する一般市民の態度について、ユーチューブの情報収集には熱心でも、実際は何も行動しない「ユーチューブリック」だと表現しています。ドアを開ければわかるのにモニタ越しにしか問題を見ず、自分ごととして感じたり、助けの手を伸ばすことをしない人びと。地球の裏側の悲劇も隣人の苦しみも映画の世界にしか見えないのは現代人の特徴でしょうか。被災移住者の置かれている環境はいろいろな面で厳しく、心から同情せざるを得ませんが、これまでの近代都市生活が破たんしつつある中で、たまたま被災せず一見何事もなかったかのように暮らしている私たちだって抱えている問題は同質です。原発から脱却するためにも、この機会に自給的な生活を見直すべきだという永田さんの主張に強く共感しました。

明峯先生の講演タイトルは「天国はいらない、故郷を与えよ」、ロシアの農民詩人エセーニンの言葉です。近代化の過程で農村を追われ、仕事を都市に求めた人びとは土着性をなくし、地方は疲弊しました。人びとが「天国」と憧れた都市生活は、便利で快適で、賑わいに溢れていますが、自らが必要とする食糧を農村に依存し、大量生産、大量消費の仕組みと膨大なエネルギーに支えられてきました。原発のニーズもこの延長に生まれています。 このパラダイムは実に前世紀100年をかけて成り立っており、すでに維持不能な状態にありました。
「3・11」は、このシステムの現実的な終焉であり、「天国」を求め続けてきた時代の終わりだと明峯先生は語ります。これからの社会の再構築にはエネルギーの問題だけでなく、医療や福祉や教育や産業などさまざまな分野の知恵を統合し、小さな地域単位で自給、自立していく発想が必要だ。そして、天国を失った人びとの行先は故郷、すなわち自然と共生する自給的な暮らしに他ならないと。

先生がここで言われる21世紀の故郷は、伝統的な地縁社会のことではなく、個人が自由な意思で決定する新しいイメージでの「我が故郷」です。「一所懸命に生きる」場所が故郷になるという先生の言葉を聞いて、私はエコビレッジを思い浮かべました。故郷に生きる人びとにとって生きるとは、土地に依拠し自然の恵みを受けながら暮らすことです。だから農山漁村の人びとは土地に対する強烈な思いがあり、今回の震災の打撃は大きかったのです。それでもすべてを受け入れ、いつか復興させようと留まって農業を続ける人びとを先生は希望と呼んでいます。自然と共に生きる人びとは確信があるとも。溢れるほどの物質と情報に囲まれても、現代人が常に不安なのは、そういう確信がないからでしょう。

すべてを受け入れるという意味で、先生は、すでに大量の放射性物質が放出されてしまったこの期に及んで数値を前提にリスクゼロを追求するのは幻想で、放射能に汚染された自然とも共生していくリスクシェアの考え方が必要だと言われました。たとえば食べ物であれば、数値で示せる安全よりも、誰がどのように作ったかがわることで生まれる安心のほうが重要だと強調されています。
放射能汚染された食べ物を「食べる」「食べない」にについては、議論の分かれるところでしょう。
私は政府が正しい情報(=事実)を開示して、そこから先の判断は個人に委ねるのがよいと思っていました。情報が不足したり曖昧だったりするから人びとが不安になると。でも、放射能汚染については安全か危険かの線引きが基本的にできないから、政府や企業の情報によって不安を取り除こうとする人びとは、どんな情報にも安心できないかもしれません。事実(数値)を見て安心しようとするのは近代的感性ですが、徹底的に事実を究明しても、それは必ずしも真実を意味しないという先生のお話を聞きながら、不安の材料は情報(外界)ではなく内にあるのかもしれないと深く考えさせられました。

不安に長生きするよりも、短くても確信をもって生きることができるなら、それは納得のいく生き方だろうと思います。「食べる」「食べない」「避難する」「留まる」は、それぞれの生き方に照らし合わせて一人ひとりが決定すべきことで、それぞれが正解なのだと明峯先生。もっとも、その問いはまさに「いかに生きるか」という人生の命題なので、明快な答えを出すのは簡単ではなさそうです。私自身は自分と仲間の故郷としてエコビレッジを創造するというミッションを改めて感じました。

2011年10月1日土曜日

10月1日 雨にも負けず稲刈り!

今日は待ちに待った稲刈り!と張り切ったのに、あいにく前日から続く雨が朝から激しく降っています。朝の気温は3度近くまで下がる寒さの中、それでも10月後半のタイトなスケジュールと天日乾燥に要する時間を考え、決行することにしました。この日は途中、何度も晴れ間がさし、そのたびに裏切られ、という非情な天気。田んぼはまるで田植えのときのようなぬかるみで、足をとられて尻もちをつく人が続出する状況です。すこぶる悪状況でしたが、参加した17人は力を合わせて懸命に作業しました。日が落ちかけて一気に寒くなったところで作業終了。1反の約8割を刈り終えました。

ちなみに1年目は27人が参加して同等の成績。昨年は3割減の面積を19人で行って4時間で終了しました。あのときは、半袖で作業していた人もいたくらいぽかぽかと温かく、もちろん地面は乾いて最高の条件でした。今年は泥沼の中を一歩一歩足を抜きながら歩くという最悪のコンディションですから、8割の結果は好成績だったのではないでしょうか。濡れた稲束を藁で縛るのは難しかったけれど、みな初めての頃よりずっと上手になっています。途中、弱音を吐いていた人も、「みんな一緒だから頑張れた」と最後は笑顔。

農業は言うまでもなく自然相手の仕事です。近代農業は施設や機械の導入で、人間のコントロール領域を拡大させましたが、それでも自然の圧倒的な力には最終的には敵いません。規模も大きく、販売の条件があるプロ農家と異なり、自給農家は比較的フレキシブルに行うことが許されますが、それでも作業には適期というものがあります。北海道の短いシーズンで(たとえ自給でも)十分な収量をあげようと思ったら、人間の都合にばかり合わせることはできません。どんなに丹精こめて育てても、自然の猛威によって一度に台無しにすることも・・・。自然への敬意と畏れを常に感じながら、作物をじっくり観察して、その育ちを助けることが私たちの役目。その恵みをいただくには、優しいお天道様とるんるんの日々だけではない、風雨に打たれて働く日だって当然あるのです。そのような体験を重ねながら、私たちひ弱な人間の心身も鍛えられるのだなと感じます 。



それにしても、昔の人はこの半分の面積をたった一人で刈ったというのですから、何という体力!私たちなど、およそ足元にも及びません。もっとも、そうしなければ食べるものがなかった時代と、いざとなれば買えると思っている今の時代では食べ物を作ることの意味が大きく違うのでしょうけど。近所の農家のお母さんが、昔、月夜の明かりではさがけをしたという思い出話をしてくれましたが、人間、真剣に食べ物を得ようと思ったら暑いの寒いのと言っては要られないはずです。食べ物が簡単に手に入るというのは近代都市住民の勘違い。そういう姿勢はつくづく戒めなくてはいけないと思います。同時に、そのような社会環境のつけのように食糧問題が重要となっている今の時代において、改めて地域で自給を目指すためのスキルや仕組みを再構築する必要があるなと思いました。