2011年12月9日金曜日

体験塾2011年最終回

12月4日は、今年の体験塾の最終日でした。全20回(特別プログラムを入れると25回くらいでしょうか)という長いプログラムでしたが、みなさん最後まで参加して下さり、ありがとうございました。

最終日、前半行ったのは「味噌の仕込み」。畑で採れた青大豆3.5kgと昨年の体験塾で収穫した米を使った麹4.5kgを使った手前味噌です。まずは、前日から煮ていた大豆と3分づきの米麹を味見。どちらもとっても甘く、その美味しさに「この材料で作る味噌が美味しくないはずがない!」と意欲も高まります。大勢で行ったため思いの外早く、約1時間で作業は終了し、あとは麹や乳酸菌などの微生物が美味しい味噌に仕上げてくれるのを待つばかりです。今回仕込んだ味噌、出来上がりは来年の秋の予定。来年の収穫祭にはみんなで味わうことができるのではないかと今から楽しみです。

午後からは、「稲わら細工」。正月用のしめ縄をつくりました。前回の納豆づくり同様、お米の生産の際に生まれる副産物の活用です。木の棒で打って柔らかくしたわらを水で湿らせ、束をつくって編んでいきます。円座になって雑談しながらこういった作業をする時間は、本当はとても貴重なものなのでしょうね。昔の農家さんなら、いろりを囲んで行ったのでしょうか。

それぞれ、新しい年を迎えるにふさわしい立派なしめ縄を完成させたところで、今年の体験塾は終了。最後にこれまでの学びの振り返りをしました。みな、初めての体験が多く、聞いて驚いたこと、やって感動したこといろいろだったようです。今年は、作物栽培や保存食加工はじめ、体験塾で行ったことを自分の生活の中でも実践している方が多く、嬉しい限りです。今後も、参加した皆さんと連携して、豊かな生活をつくっていければ、と思っています。
冬場は凍りつきそうなコモンハウスですが、1月には番外編で豆腐を作ったり、酒蔵を見学したりと楽しい企画を用意して待っています。
来年また元気でお会いしましょう!

2011年11月23日水曜日

農とともに歩む社会(講演エップレイモンド)



11月23日の体験塾の座学テーマは『持続可能な農と社会』。講師として、メノビレッジ長沼よりエップ・レイモンドさんと荒谷明子さんをお招きしました。
 アメリカ人であるレイモンドさんが自国の大規模農業の在り方に疑問を持ち、カナダでのCSA農業(地域で支える農業)を経て長沼で現在のメノビレッジを作り上げる経緯から、国を超えた食糧生産や経済の問題を感じさせられました。メノビレッジでは「安心・安全な野菜を作ることを目的としてはいない」とレイモンドさんは言います。大切なのは土づくりであって、その結果として安心な野菜が生産できるのだという考え方です。「栄養の循環」「お金の循環」をあくまで思いやりの届く規模にすること、つまり持続可能な地域社会づくりを活動の目的としているとのことでした。今後の活動の広がりとして、設立に向けて動き出しているNPO法人についてもお話ししていただきました。

実習では、「納豆づくり」と「もみ殻燻炭づくり」を行いました。どちらも稲の副産物を利用した活動です。
納豆は、稲わらについている野生の納豆菌を利用して作ります。手順としては、稲わらを束ねた「わらづと」をつくり、沸騰させた湯で10分ほど煮て殺菌した後、蒸し大豆を入れて保温。発泡スチロールの箱に湯たんぽを入れて、約40℃を30時間ほど保ち、納豆菌を培養するのです。ちなみに、使った稲わらと大豆は、自分たちで育てたものです。1日で行う実習では完成まで至らないため、今回は前日に仕込んでおいたものを最後に取り出して味見をしました。稲わらの香りが少し残っていますが、なかなか美味しい納豆が出来ていました。自分で仕込んだわらづと納豆はお持ち帰りいただき、自宅で保温を継続してもらいました。

今年獲れたお米のもみ殻を使って、燻炭づくりも行いました。 燻炭は、畑の土壌改良や段ボールコンポストの資材になるほか、鶏のエサに混ぜるなど様々な用途がある優れものです。せっかくもみ殻がたくさんあるのですから、自分で作らない手はありません。畑の中で小さな焚火をし、燻炭器をかぶせてからもみ殻で覆います。中から炭化が進むので、最初は撹拌しながら様子を見、全体に炭化が進んだところでしばし放置します。1時間後、見事に燻炭が出来上がりました。

昔から続いてきた「農」は、決して作物を生産することだけではありませんでした。栽培によって生まれる副産物も次の活動に利用しながら、すべてを連続させ、循環させていたのです。それはもちろん、「自給」が中心だったからこそできたことでしょう。 専門家・分業化が進んだ社会がつくり出してしまった「無駄」「廃棄物」という概念を再び生活の循環に戻していくための知恵をこれからも学びたいものです。

2011年11月5日土曜日

秋の味覚を味わう

11月5日のプログラム、テーマは「秋の味覚」でした。
まず、午前中は鮭トバづくりから始まりました。ジャガイモなどの畑の幸との交換でいただいた“秋味”をみんなで3枚におろし、まずは塩漬けにします。 鮭トバづくりの下ごしらえとしては、15%程度の塩水に一晩漬け込むのが一般的なようですが、今回は直接塩をすり込んだ状態で4時間ほど保管する方法で行いました。

その後は畑に出て、ニンジンやダイコン、ゴボウ、ネギなど「秋の収穫作業」です。 土が固いためかダイコンはなかなか大きいのができないのですが、どれも瑞々しくて美味しいものが獲れます。6月に播いたニンジンやネギも、香りの強い立派なものがたくさん獲れました。が、何と言っても今回の収穫のメインは「ゴボウ掘り」。北海道弁で、子どもが駄々をこねることを「ゴンボ(ゴボウ)掘る」と言いますが、ゴボウ掘りはまさに手に負えないほど大変な作業です。特にこの畑はかなり粘性の高い土なので掘るのは本当に大変なのですが・・・この手の作業は、何故か気持ちが乗り始めるとどんどん体が動きます。「もっと上手に掘ってキレイなゴボウを収穫しよう!」という気分になってくるのです。掘り上げたゴボウは、土の性質には合っているのかエグみが少なく生で食べても十分美味しいものでした。

昼食のメインは、先ほどの鮭の「アラ」を使った「アラ汁」です。
ダイコン、ニンジン、ゴボウ、ネギ、ジャガイモといった具もすべて畑の産物、味噌も昨年仕込んだ手前味噌で、かなりの「高自給率」な昼食となりました。
もっとも、「自分たちで育てて収穫した野菜たちを食べる喜び」は、自給率云々と言った数字の話よりもずっと貴重な気もします。畑から掘って雨水で洗っただけの野菜をかじった時の、刺激的な香り、味覚が伝えてくる「生命力」。それらを感じることは、何にも替え難い「収穫」なのかもしれません。

午後のプログラムの前半は座学。『人間と農』と題して、人類の食料調達の歴史をあらためて学びました。 長い狩猟採集時代を経て「農」を獲得する経緯やそれによって得たもの、失ったものを知ることは、これからの人間の在り方を考えるときの手がかりになるはずです。 近代の「化学化」「機械化」が進んだいわゆる大量生産型の慣行農業に多くの問題があることは事実ですが、単純に化学肥料・農薬が悪いなどとは言えないことも、農耕が生まれて発展した歴史を思い起こすと見えてくるのです。客観的な視点で歴史をとらえた上で、「ではこれから自分たちがどうしていけばいいのか?」を考えることが重要なのでしょう。

午後の後半は「切り干し大根づくり」でした。
先ほど収穫した大根を千切りや輪切りにし、干し網の上に並べます。非常にシンプルですが、大根がたくさん獲れて冷たい風が吹きつけるこの時期ならではの作業です。 包丁づかいが達者な方が揃っているので、あっという間に大量の仕込みが出来ました。 午前中に塩をすり込んでおいた鮭も、軽く水洗いして一緒に干して、すべての仕込みが終了。 後は乾燥を待つばかりです(毎日、撹拌するなどの作業はしていきます)。

案外簡単にできる保存食づくり、「家でもやってみます」という感想が多かったことを嬉しく思いました。 体験塾のプログラムは、単なる知識ではありません。あくまで日常に結びつけていくためのものだと考えています。 札幌などのアパートやマンションのベランダで、みんなが干し野菜を作っているなんて、素敵な風景だと思いませんか。

2011年10月30日日曜日

2011年収穫祭盛況に終わる






久々に青空が顔を出した10月最後の日曜日。収穫祭が行われました。丹精こめた貴重な実りをお世話になった方々と分かち合い、多くの人に活動をお披露目する晴れの舞台です。
お料理は担当メンバーが何週間も前からメニューを考え、下準備をし、前日はほとんど寝ずに作りました。メインディッシュはお楽しみの塩むすび。天日干しでじっくり乾燥、先週籾摺りをしたばかりの新米です。これを初めて炊くときは毎回緊張します。図らずも水加減を担当することになり、責任重大。だって5升の米なんて普段炊かないし、失敗したら大変なことに・・・。ガス釜と羽釜の二つを使い、見事ふっくらと炊きあがったご飯を見て思わず「やった~」と声をあげてしまいました。ひいき目と言われるのは承知ですが、白米だけで本当に味があるのです。これは感動しないではいられません。

おにぎりに続いて自家製野菜の汁物や煮物、サラダにデザート、ずらりと並んだ色とりどりの料理にみなで舌鼓を打ちました。 70人近くで食卓を囲む姿はまるで地球家族ですね。初めて会う方々も思わず一気に親しくなります。エコビレッジができたらこんな食卓になるのでしょうか。


屋外では足踏み脱穀や縄結い、石釜ピザづくりなど、初めての体験を楽しむ人びとで賑わいました。ピザも閉店頃には温度がちょうどよくなり、本場イタリアピザのような焼き上がり?だったとか。 お腹がいっぱいになった後は、アフリカや南米などバリエーションに富んだ音楽で盛り上がりました。今年一番のサプライズは近所の農家のおじさん(笑)がアフロヘアで登場。飛び入りのアメリカ人のベースを相手になかなか意味深い歌を披露してくれました。

2Fは雑貨やお菓子の販売、フリーマーケット。東日本被災地支援のみさんがワークショップなど、楽しい出店が所せましと並びます。エコビレッジをサポートしてくれているアーティスティックでハートフルな仲間たちです。



祭りの最後は1年間の取組みをフォトムービーで振り返りながら幕を閉じました。みんな、自分たちの努力の積み重ねと成長を感じながら誇らしい気持ちで見入っていました。本当に、外から見たら遅々たる歩みでしょうが、前にはできなかったことが少しずつだけどできるようになっている、一人でやっていたことがみんなで力を合わせてできるようになった、まるで幼子の成長のようにこの3年の成果を私自身強く感じました。そして、そんな私たちの歩みを支えてくれている素敵な仲間たちに深く感謝しました。
持続可能な社会は誰もが願うことですが、その道のりは不透明です。エコビレッジのテーマである自給自足やコミュニティも、ともすると閉じた環境を創りかねません。魅力的な場と機会を通じてさまざまな人を巻き込みながら、わくわくするような次世代の暮らしを創造していきたいと思います。

2011年10月23日日曜日

美味しいお米までもう一歩

10月23日の体験塾は、前半では総合コース中心に収穫祭に向けた打ち合わせや作業、後半は総合・田墓コース合同での座学や稲の脱穀を行いました。

4月に始まった今年の体験塾も終盤に差しかかり、メンバー同士のつながりも深くなってきました。今回のようにグループで相談しながら行う活動も、お互いに声を掛け合いながら主体的にかかわって下さり、こちらも助かっています。
また、初めはあくまで「教育サービスの受け手」として参加した方々が、この収穫祭に向けた取り組みでは「迎える側」として力を発揮して下さったことも嬉しく感じました。

さて、今回の座学のテーマは『農薬』です。体験塾に参加されている方は、一般の人よりも有機農業や自然農に対する関心が強いかと思いますが、農薬や化学肥料の知識は案外乏しいかもしれません。いたずらに嫌ったり恐れたりするのでなく、正しい知識をもとに考えていく姿勢が必要との意図で、体験塾ではこのテーマを取り上げています。
世界的な農薬問題のきっかけを作った『沈黙の春』の著者レイチェル・カーソンにスポットを当てながら、この問題の本質がどこにあるのかをみんなで考えました。

最後は稲の脱穀。6月の田植えに始まり、除草や虫取り、藻の除去など苦労の多かった田んぼの作業もいよいよ最後です。はさがけして干してあった稲が良い具合に乾燥したので、体験塾前日にメノビレッジの機械で脱穀及び籾摺りをしてもらっていたのですが、そういった作業も手で体験しておきたいと考え、1割ほどを体験用に残しておいたのです。
最初は足踏み脱穀機で、稲の穂からモミを取り外しました。続いて、同じ脱穀作業を電動脱穀機を使って行いました。私たちは、こういった比較が重要だと感じています。もちろん電動は楽なのですが、電気がないと使えないし、量によっては足踏みの方が勝手が良かったりもします。また、わたし達が借りている田んぼ1枚、1反分をすべて手作業でやろうとすれば、それはかなりの時間と労力を要することになります。「できない」のでは意味がありません。電機や石油が「安いから」「高いから」もしくは「作業が大変だから」という理由で安易に機械化を計るのでなく、また近代の技術をすべて否定するのでもなく、あくまで人間の力を主体にしながら「適正な規模」での「適正な技術」を獲得していきたいものです。これまでの常識にとらわれずに、自分たちの考え方にあった技術を考え、探していくことが大切なのでしょうね。

2011年10月21日金曜日

実りの秋に考えること

友人のご両親が営む余市の果樹園を訪ねました。今はぶどうの収穫が山場です。今年はたまたま身体を壊して収穫の作業ができないと伺い、みなで駆けつけました。 たわわになるぶどうは美しく、その風景を見ているだけで何だか豊かな気持ちになります。野菜や穀類の畑とは違った果樹園ならではのロマンティックな景観にちょっと感激しました。


今日の作業はワイナリー用の赤ぶどうの収穫です。幸い、寒くもなく暑くもなく、ちょうどよい気温。椅子に腰かけてのんびり作業しながら鼻歌も混じり・・・これはいいや、と思ったのは最初の1時間ほど。カビや腐りの入った部分を鋏で取り除く作業が結構手間で、思ったよりもはかどりません。そのうち「え~、これ、全然終わらないじゃん」「この広さを老夫婦二人で維持しているなんて」とため息が。聞けば、今週中に出荷しないと農協に引き取ってもらえないとか。時間が経つほど傷みも進むので、いずれにしても後1週間の勝負だろうということでした。


農業はいかに自然に合わせて働くかが肝です。仮に出荷や収益を度外視しても、作業に適期はつきもの。どんなに丹精込めて作っても、どんなにたくさん実っても、ベストなタイミングで収穫しなければ、それまでの努力や成果も水の泡にしてしまいます。だから、雨が降ろうが風が吹こうが必要な作業を休むわけにはいきません。
「こんなに立派に実っているのに取り残すなんてもったいない・・・」「農業をやりたい人はたくさんいるから声をかければ」みなさん、そうおっしゃいます。でも、天気や作物の状況を睨みながらたった数日から1~2週間の収穫期に十分な人を集める、またその人たちに適切に作業をしてもらう環境を整えるのも容易なことではありません。それに青空の下でリフレッシュ♪なんて日には「農業って健康的でいいわね」ということになるでしょうが、風雨に打たれて長時間その作業をする人が一体どのくらいいるでしょう。私はワインを飲まないので製造事情にも詳しくはありませんが、欧米の美味しいワインも、ひょっとしたら劣悪な環境で働く労働者に支えられているのでは・・・と思わず疑念を抱いてしまいました。まして有機無農薬栽培は、ますます手間がかかります。健康志向の消費者は少々高値でもお金を出すかもしれませんが、それでも重労働を変えることはできません。かつて英国に住んでいたころ有名な大規模オーガニック農園を訪ね、300人の季節労働者の半数以上がポーランドからの移民だと知って驚きました。一方、テレビのインタビューでは「最低時給で農業をするくらいなら生活保護をもらうよ」とイギリスの高校生。はたして日本の若者はどうでしょうか。


私たちのやっている農体験はあくまでも自分たちが食べることが目的で、現金を得るためではありません。農作業を通じて実にいろいろなことを学び、自分を鍛えることができると考えています。そして、作物栽培がなかなかお金にはならない重労働に支えられているという事実を知ることで、食べ物を安く買いたたこうなんて思わなくなるなら、それだけでも重要な体験だと思っています。プロから見たら遊びだと笑われるかもしれませんが、種を撒き大切に作物を育てて実ったときの嬉しさや自然の中で働くことの喜びは、たとえ経済的には無意味でも何事にも代えがたいものです。相変わらず巷では、口先三寸で何も生産しない仕事が大金を稼ぐ仕組みになっていますが、果たしてそんな社会に未来があるでしょうか。自然に感謝しながら汗を流し、小さな種から実りを生む労働の価値を分かち合うことのできる人びとこそが、よい社会を創ると信じます。

2011年10月8日土曜日

種をつなぐこと

10月8日のテーマは「自家採種」でした。前半は、今年度最後となる坂本一雄さんの講義。「何故タネを買わずに自分で採るのか」という自家採種の理念をお話ししていただきました。現在、農家はもちろん、家庭菜園を行う人たちでも農協やホームセンターなどで種や苗を購入して栽培を行うのが一般的です。目的に合わせて品種改良したF1品種に多くの利点があることは認めつつも、それによって失われていくものがあることも知っておく必要があると思います。日本で使用されるほぼすべてのタネが外国で生産されている点も、現在の農業が危うい状況にあることを示しているのではないでしょうか。 その土地でもっとも育ちのよいものを選別して自らタネを採る、それを繰り返すことは、本来当たり前のことでした。
後半は実習です。まずは畑を一回りしながら作物の様子を観察し、完熟して乾いてきた豆やタネ取り用として収穫せずに大きく熟させたトマトやナス、キュウリなどの実、それに2年草であるゴボウやニンジン等のタネを採集しました。「自家採種」というと技術的に難しいことを想像しがちですが、豆類などは収穫した食用から色、形のよいものを選ぶのですから特別なことはありません。豆の選別は自給農において冬の大切な仕事です。 果菜類のタネ採りは、採った実を追熟させてからの方が良いので、3日前に収穫しておいたタネ取り用の実を用いて実習しました。実を包丁で割って、中の実を取り出すのです。キュウリやトマトなどのゼリーに包まれているタネは、水で洗ってから乾燥させます。 2年草の作物は少し難しいかもしれませんが、その年に採れるものの自家採種は思いの外、簡単です。どんなタネであれ、とりあえず採って播いて栽培し、再びタネを採る・・・販売されているものと同じ性質のものは得られませんが、自分だけの品種を作る楽しみも、家庭菜園や自給的栽培の魅力の一つ。是非皆さんに挑戦していただきたいと思っています。 (写真上オクラ、下キュウリ)
講師の坂本一雄さんは、自身の農園で120種以上の作物を自家採種しておられます。そこまで行うのは一朝一夕ではできませんが、数種類ずつでも自家採種する作物を増やすことで、栽培がより豊かで楽しいものになっていくと思います。 「1人で10品目を採種するのは大変なこと。でも1人1種ずつ採種し10人が協力することで、10種のタネを得られるのです」とは坂本さんの言葉です。身近な人たちで「タネ採りの輪」を広げていきませんか。

2011年10月5日水曜日

明峯哲夫&永田まさゆき「自給的くらしの意義~震災後の社会再構築に当たって」

10月2日は札幌市西区小別沢の「農的くらしのレッスン」を訪ねました。

「くらしのレッスン」を主宰している永田さんは、東北の被災移住者に住居や物資を提供する「むすびば・受け入れ隊」の代表として、この春からこれまで約150世帯の受け入れ支援をしています。今後は、物資提供よりも、心のケアや就労など自立支援のウェイトが高くなるだろうというお話でした。永田さんは被災者に対する一般市民の態度について、ユーチューブの情報収集には熱心でも、実際は何も行動しない「ユーチューブリック」だと表現しています。ドアを開ければわかるのにモニタ越しにしか問題を見ず、自分ごととして感じたり、助けの手を伸ばすことをしない人びと。地球の裏側の悲劇も隣人の苦しみも映画の世界にしか見えないのは現代人の特徴でしょうか。被災移住者の置かれている環境はいろいろな面で厳しく、心から同情せざるを得ませんが、これまでの近代都市生活が破たんしつつある中で、たまたま被災せず一見何事もなかったかのように暮らしている私たちだって抱えている問題は同質です。原発から脱却するためにも、この機会に自給的な生活を見直すべきだという永田さんの主張に強く共感しました。

明峯先生の講演タイトルは「天国はいらない、故郷を与えよ」、ロシアの農民詩人エセーニンの言葉です。近代化の過程で農村を追われ、仕事を都市に求めた人びとは土着性をなくし、地方は疲弊しました。人びとが「天国」と憧れた都市生活は、便利で快適で、賑わいに溢れていますが、自らが必要とする食糧を農村に依存し、大量生産、大量消費の仕組みと膨大なエネルギーに支えられてきました。原発のニーズもこの延長に生まれています。 このパラダイムは実に前世紀100年をかけて成り立っており、すでに維持不能な状態にありました。
「3・11」は、このシステムの現実的な終焉であり、「天国」を求め続けてきた時代の終わりだと明峯先生は語ります。これからの社会の再構築にはエネルギーの問題だけでなく、医療や福祉や教育や産業などさまざまな分野の知恵を統合し、小さな地域単位で自給、自立していく発想が必要だ。そして、天国を失った人びとの行先は故郷、すなわち自然と共生する自給的な暮らしに他ならないと。

先生がここで言われる21世紀の故郷は、伝統的な地縁社会のことではなく、個人が自由な意思で決定する新しいイメージでの「我が故郷」です。「一所懸命に生きる」場所が故郷になるという先生の言葉を聞いて、私はエコビレッジを思い浮かべました。故郷に生きる人びとにとって生きるとは、土地に依拠し自然の恵みを受けながら暮らすことです。だから農山漁村の人びとは土地に対する強烈な思いがあり、今回の震災の打撃は大きかったのです。それでもすべてを受け入れ、いつか復興させようと留まって農業を続ける人びとを先生は希望と呼んでいます。自然と共に生きる人びとは確信があるとも。溢れるほどの物質と情報に囲まれても、現代人が常に不安なのは、そういう確信がないからでしょう。

すべてを受け入れるという意味で、先生は、すでに大量の放射性物質が放出されてしまったこの期に及んで数値を前提にリスクゼロを追求するのは幻想で、放射能に汚染された自然とも共生していくリスクシェアの考え方が必要だと言われました。たとえば食べ物であれば、数値で示せる安全よりも、誰がどのように作ったかがわることで生まれる安心のほうが重要だと強調されています。
放射能汚染された食べ物を「食べる」「食べない」にについては、議論の分かれるところでしょう。
私は政府が正しい情報(=事実)を開示して、そこから先の判断は個人に委ねるのがよいと思っていました。情報が不足したり曖昧だったりするから人びとが不安になると。でも、放射能汚染については安全か危険かの線引きが基本的にできないから、政府や企業の情報によって不安を取り除こうとする人びとは、どんな情報にも安心できないかもしれません。事実(数値)を見て安心しようとするのは近代的感性ですが、徹底的に事実を究明しても、それは必ずしも真実を意味しないという先生のお話を聞きながら、不安の材料は情報(外界)ではなく内にあるのかもしれないと深く考えさせられました。

不安に長生きするよりも、短くても確信をもって生きることができるなら、それは納得のいく生き方だろうと思います。「食べる」「食べない」「避難する」「留まる」は、それぞれの生き方に照らし合わせて一人ひとりが決定すべきことで、それぞれが正解なのだと明峯先生。もっとも、その問いはまさに「いかに生きるか」という人生の命題なので、明快な答えを出すのは簡単ではなさそうです。私自身は自分と仲間の故郷としてエコビレッジを創造するというミッションを改めて感じました。

2011年10月1日土曜日

10月1日 雨にも負けず稲刈り!

今日は待ちに待った稲刈り!と張り切ったのに、あいにく前日から続く雨が朝から激しく降っています。朝の気温は3度近くまで下がる寒さの中、それでも10月後半のタイトなスケジュールと天日乾燥に要する時間を考え、決行することにしました。この日は途中、何度も晴れ間がさし、そのたびに裏切られ、という非情な天気。田んぼはまるで田植えのときのようなぬかるみで、足をとられて尻もちをつく人が続出する状況です。すこぶる悪状況でしたが、参加した17人は力を合わせて懸命に作業しました。日が落ちかけて一気に寒くなったところで作業終了。1反の約8割を刈り終えました。

ちなみに1年目は27人が参加して同等の成績。昨年は3割減の面積を19人で行って4時間で終了しました。あのときは、半袖で作業していた人もいたくらいぽかぽかと温かく、もちろん地面は乾いて最高の条件でした。今年は泥沼の中を一歩一歩足を抜きながら歩くという最悪のコンディションですから、8割の結果は好成績だったのではないでしょうか。濡れた稲束を藁で縛るのは難しかったけれど、みな初めての頃よりずっと上手になっています。途中、弱音を吐いていた人も、「みんな一緒だから頑張れた」と最後は笑顔。

農業は言うまでもなく自然相手の仕事です。近代農業は施設や機械の導入で、人間のコントロール領域を拡大させましたが、それでも自然の圧倒的な力には最終的には敵いません。規模も大きく、販売の条件があるプロ農家と異なり、自給農家は比較的フレキシブルに行うことが許されますが、それでも作業には適期というものがあります。北海道の短いシーズンで(たとえ自給でも)十分な収量をあげようと思ったら、人間の都合にばかり合わせることはできません。どんなに丹精こめて育てても、自然の猛威によって一度に台無しにすることも・・・。自然への敬意と畏れを常に感じながら、作物をじっくり観察して、その育ちを助けることが私たちの役目。その恵みをいただくには、優しいお天道様とるんるんの日々だけではない、風雨に打たれて働く日だって当然あるのです。そのような体験を重ねながら、私たちひ弱な人間の心身も鍛えられるのだなと感じます 。



それにしても、昔の人はこの半分の面積をたった一人で刈ったというのですから、何という体力!私たちなど、およそ足元にも及びません。もっとも、そうしなければ食べるものがなかった時代と、いざとなれば買えると思っている今の時代では食べ物を作ることの意味が大きく違うのでしょうけど。近所の農家のお母さんが、昔、月夜の明かりではさがけをしたという思い出話をしてくれましたが、人間、真剣に食べ物を得ようと思ったら暑いの寒いのと言っては要られないはずです。食べ物が簡単に手に入るというのは近代都市住民の勘違い。そういう姿勢はつくづく戒めなくてはいけないと思います。同時に、そのような社会環境のつけのように食糧問題が重要となっている今の時代において、改めて地域で自給を目指すためのスキルや仕組みを再構築する必要があるなと思いました。

2011年9月25日日曜日

9月24日 稲刈り準備

春の田植えからおよそ4か月。手塩にかけて育てた稲が一斉に穂を垂れています。今年は低温でスタートが遅れ心配し、土壌の酸欠によるガスの発生など悩みが絶えませんでした。それでも手で藻を取り、虫を追った努力のたまものか、夏の高温に支えられたのか、その後の生育は順調でした。稲刈り1週間前の田んぼは黄金色、というにはまだやや青味がありますが、とても健康そうです。

思えば、3年前に初めて米づくりに挑戦したときは、10㌃の田んぼから収穫される米をどう乾燥して食べる状態にするのかまるで見当がつきませんでした。ハサ掛けをしようと決めたものの、子どもの頃近所で見た風景やインターネット情報は曖昧かつさまざまで、何メートルで何段のハサをどんな構造で作ったらいいのか、与えられた条件下で確信ある回答はありません。大事な米を台無しにしては大変と、インターネットや本で必死に調べ、さんざん議論し悩みながら準備しました。知り合いから、やってみたけど稲が落ちてしまったとか、はさが倒れそうになったとか聞くと、干し終わってからも少し風が吹くたびに気が気ではありませんでした。

その後、いろいろ調べるうちにハサ掛けも地域によって異なることを学びました。おそらく北海道に入植した人々はそれぞれの郷里で行われていたやり方を持ち込み、それが各地域の気象に合わせて変化したのだと思われます。2年目は杭掛けというやり方を試みましたが、ハサ掛けと比べて資材も要らず、立て込みも簡単で乾燥状態もいいことがわかりました。この方法、庄内地方の海岸部や平地部では主流だったようです。一方、ハサガケは平地の少ない場所では有効、見た目にも美しく絵になるのは間違いありません。

伝統的な知恵やプロの技に習いながら、今の自分たちの体力、財力などの条件に合い、かつ最も環境に負荷をかけない方法を編み出していくのがエコビレッジの醍醐味。よちよちと歩みながら、3年目の今年はすっかり要領を得て、準備もスムーズです。稲を束ねる藁の準備もばっちり。

「人事を尽くして天命を待つ」という心境で、まもなく稲刈りを迎えます。

2011年9月5日月曜日

9月10日(土)~未来を壊さないエネルギー~田中優さん講演会 修了

3月11日の東日本大震災以来、日本中が悩んでいるテーマです。原発の危険さ、放射能の怖さ、補助金に依存しないと成り立たない過疎地の経済、他人の弱みに付け込んで大金を稼ごうとする大企業や政治家・・・。何一つポジティブな話はありません。考えるほど腹がたったり失望したり、気分の落ち込む話題です。個人的に、原発はもちろんNOです。悪いものに反対していく姿勢は大切です。でもNOだけ言い続けていても閉塞感が増すばかり。不安がつのって根も葉もないデマにまどわされて他人を差別したり、自分だけ助かりたいという行動に走ったりする危険性もあります。多くの人が不安を抱きながら、それでも自分を変えられないと思うのは、環境や弱者に優しいエネルギーや社会の姿を具体的に描けないからでしょう。原発や化石燃料に頼らない社会は、実際どのように成り立つのでしょう。それは惨めで暗い社会の到来ではない、と私は信じています。それは、たとえば今と同じように1年中好きなものを好きなだけ食べる自由は許されないけれど、安心安全な食に恵まれ、地域が自らの資源や文化を取り戻し、活力あふれた世の中になるのだろうと想像します。

9月10日は、田中優さんをお招きして、そんな次世代のビジョンと具体的なアクションプログラムについてお話していただきました。講演会に集まったのは学生から高齢者、企業人、小さい子どもを連れた母親など158人、普段のセミナーと比べて幅広い層の参加が特徴的でした。このテーマに関する人々の感心の高さがうかがえます。

2時間という短い時間の中で、福島原発や被災地住民の状況から、原発に依存しない社会が可能であること、そのための具体的な方策が語られました。現状の法制度上では即実現はしないところが歯がゆいけれど、まずは「できるんだ」とみなが信じることが大切です。参加した一人が送ってくれた感想は「優さんのお話はいつも最後に希望があっていいですね。あとは自分が何をできるか、なにをするか。しっかりアウトプットしなくては」そう、後は私たちの行動次第だと思います。

確かにここまで複雑に絡み合い大規模に歪んだ社会は、システムを変えない限り変わらないでしょう。しかし、迷える人々をリードし、システムの変革を導くためには、要望陳情やデモだけでなく、勇気ある実践が不可欠だと思います。つまり、食やエネルギーを自給しながら大規模電力発電に依存しない暮らしが実際にやってみせること、「へえ~、そんな風にできるんだ。あっちのほうがお金もかからないし、楽しそうでいいじゃん」と人々が選択できる社会をリアルに提示することができれば、その実現を早めることができるのと思います。エコビレッジは、個人のライフスタイルを超えて「権力を握らずに社会を変える運動(糸長)」であると改めて思いました。

2011年9月4日日曜日

鶏を食べるためには

去年もそうだったけれど、屠畜実習の直前は、何とか自分はやらないで済む理由を探していました。会員さんの中には、このことが3日も前から気になって夢に出てきたという人も。映像などで見たことはあっても、やはり他の生き物の命を落とすという行為は誰もがためらうことです。ただ、「残酷、気持ち悪い」という感覚だけでこの作業をとらえてはいけないと思います。少なくとも動物の肉を食べている人たちは、必ずその前にこの作業があること、それを担ってくれる人のお世話になっていることを自覚する必要があると思うのです。そう思って、「私も1年に一回くらいはやるか・・・」とこの日も参加しました。

今日の講師はファームレラ(東川町)の新田由憲さん。実習用の鶏8羽は、メノビレッジからいただいてきました。2歳くらいのまだ比較的若い鶏ですが、一般の養鶏業ではもっと若くても産卵のペースが落ちてくると廃鶏になるようです。一人一羽ずつ、次の人に身体を押さえてもらいながら首を落としました。新田さんのリードはてきぱきとしていて、深刻な顔の受講生の緊張を解くようにスピーディーでした。おかげで、私自身はあまり恐怖感を覚えずに作業として鶏に向かうことができました。とは言え、鶏が必死にもがいて泣く声にみなしっかりと「生命」の手ごたえを感じたはずです。「ごめん!」という声が思わずこぼれました。「生き物を飼って肉にするって、相当な決意と覚悟が必要なんだと感じました。そして体力と手間がかかるのですね」と参加した女性。

首を落とした鶏の血を抜いて、お湯につけて毛をむしります。毛がなくなると生き物の死体が次第に肉に見えてくるから不思議。次に、手足を取り外し内臓をきれいに外に出す壺抜きの作業をします。腸や胃袋、ちゃんと殻に入った卵も出てきました。新田さんが「これが心臓、これが砂肝・・・、砂肝を割ると中に食べたエサが見えるだろう」と解説してくれるのが理科の解剖実習のようで、気持ち悪いという印象がなくなりました。(ちなみに、ここまで業者さんに頼むと一羽500円ですって!)その後は部位ごとに切り分けていく作業を行いました。この辺は料理感覚です。それにしても、ここまでの工程の長かったこと。私たちが3時間近くかけて行った作業を、プロの業者さんはあっという間に行うそうですが、それでも決して楽しい仕事ではないですよね。



最後に燻製にした手羽を食べました。参加者の一人は「終わってからすぐ肉を食べていた自分にびっくりした。人間の食欲って怖いなとも思いました。でもこれが生きる事なんだよなと、自分の命も無駄にしてはいけないと感じました」と感想を述べています。鶏の命はもちろん、飼っている農家さんの努力、食べられる状態にする人たちの大変さをしみじみ感じながらみなで食しました。この体験の後では、宴会に山盛り出てくる焼き鳥は安すぎると感じるし、ましてそれが手もつけられずに捨てられる光景は耐えられないものになりますね。私にとって、屠畜はやっぱり辛い体験ですが、自分が食べている物をちゃんと味わうために重要な儀式みたいなものでしょうか。











新田さんは終始丁寧に解説をしてくれました。もちろん、慣れている仕事だけれど、「やっぱり好きじゃない」そうです。新田さんは、現在は養鶏家として、またファームレストラン「風土」の経営者として知られていますが、もともとは環境運動家で反原発や再生エネルギー、エコツーリズムなどいろいろな活動を先駆け的に実践してこられました。午前中の家畜の講義では、私的には、鶏の飼い方や課題以上に、新田さんの環境問題への取組み=彼の生き方、暮らし方であることに感激して聞いていました。環境問題は今でこそもっとも注目を浴びるテーマとなり、ソーラーパネルやエコ家電が一躍人気者になっていますが、使っている人々の生き方は反映しません。新田さんの歴史は、エコロジカルに生きるということがどういうことか、それもカスミを食べて引きこもっている仙人のような生き方ではなく、社会を変えていこうという運動家としての精神が一貫して見られます。「諦めず、今日コケないこと」がコツだと新田さん。高い理想に到達するために、今何をしたらいいかというバックキャスティング的な発想や、そのために一時的な戦略や妥協も必要だという点もエコビレッジを進める上での参考になりました。

2011年8月30日火曜日

実りの秋

8月21日は、しばらくぶりの再会からスタートしました。

体験塾はせいぜい月に2~3回の開催、コースによっては数週間空いてしまうこともあります。でも、畑に関して言えば、それでは継続的に変化を追えません。作業に対する主体性を持つことも難しくなってしまいます。プログラムのない日も自主的な作業をお願いしていますが、総合・田畑両コースの皆さんがそろったのは実に1か月ぶりでした。

1カ月経てば畑の様子もずいぶん変わります。特に今年は7月末から8月前半がかなり高温になりましたから、作物の丈も伸び、緑が一気に茂りました。
そこでまずは、みんなでそんな作物の様子を一つずつ観察。もちろん手には籠とハサミを持って、収穫も同時に行いました。同時に、果菜類の脇芽取りや枝の誘引、ニンジンの間引きなどの作業も行いました。

次の作業は「イモ掘り」です。前日までの雨で、できるかどうか不安があったのですが、かなり高畝にしていたこともあって土の状態はまずまず。秋の収穫体験のメインともなるイモ掘りに精を出しました。
昨年は今イチだったジャガイモですが、今年は随分良い出来でした。1株に2LサイズからSSまで、おおむね5~7個のイモが出てきて、皆さんの顔もほころびました。農家さんが育てるジャガイモでは当たり前の収量ですが、ほぼ無肥料の畑でこれだけのものが獲れるということに驚かされます。
不作だった昨年と比べて何が違うのか、気候等の問題ももちろんありますが、やはり高畝が功を奏したように思います。とはいえ、かなり手間のかかる作業ですから、その労力と収量の関係は考える必要があるでしょう。あまり大変すぎるのでは、自給も難しいですから。

その後は、秋作のダイコンの播種。これは土の状態が良くなく、予定通りの作業とはなりませんでした。ダイコン畑はある程度深く起こしたかったのですが、土の水分量が多すぎて播く環境を整えられなかったのです。
仕方なく、ここは一旦ポットに播種。苗立てすることにしました。1ポットに3粒播き、タネは早生種の50日ものと「総太り80日」というすごい名前のもの。播種作業はこれまでにも度々やっているので、みんな説明なしでもできるようになっています。何度も経験することは大事ですね。あとは・・・自分の蒔いた種の発芽の様子をしっかり観察して、苗の生育を助け、見守る、ということになるのですが、こちらについてはもう少し課題が残るかと思います。そこはもう、各自が意識を持って始めたときからそれぞれが試行錯誤していく部分なのだろうと思っています。
また、本当は苗にせずに何でも直播したいのですけれど、畑の性質上(粘土、風など)生育初期段階は苗にして保護してあげる方が良かったりもします。今の時期はまだまだ虫も多いので、もしかすると「結果的に良かった」ということになるかもしれません。 それもまた、経験だと思います。

作業の後は、採りたて野菜で作ったサラダや炒め物などがずらり。bio(札幌市中央区)のケータリングカレーも美味だったけれど、自家製野菜のおかげでランチがぐっと豪華になりました。

2011年8月28日日曜日

夏の最後を飾るガーデンパーティー



ガーデンのハーブが山盛りになってきたので、株分けをしました。特に、レモンバームは刈っても刈っても繁茂します。よほどここの土質にあっているのだろうと思い、分けた株を畔の法面に移植しました。エントランスのレモンバームが香りもよく、防草効果を発揮してくれるといいなと期待しています。葉っぱのほうは、乾燥してお茶にしたり、精油に挑戦したりしました。圧力鍋での精油は失敗しましたが、アロマウォーターはなかなかいけるという報告が寄せられています。







エキネシアも、昨年入れた9センチポットが見事に成長したくさんの花を咲かせています。身体の免疫効果を高めると言われており、花に熱湯を注いでフレッシュなお茶を楽しんでいましたが、葉っぱも茎も薬効があるそうです。ネイティブインデイアンは「マスクいらず」と呼んで薬の代わりに使ったとか。欧米ではお茶やキャンディーなどが市販されています。

今年のガーデンは、きゅうりやナスなどの果菜類が今ひとつでしたが、全体的には美しく健康に育っています。レイズドベッドのごぼう(左写真)も元気。ズッキーニは一時期うどんこ病でもうダメかなあと心配しましたが、丁寧に病気の葉っぱを取り除いているうちに、また復活しています。親バカに聞こえるかもしれないけれど、トマトはどこで食べるものより味が濃くて美味しい気がしています。


今日はダッチオーブンでピザを作りました。ピザの具はすべて自家製野菜。加工用のサンマルツァーノで作ったトマトソースは絶品。持ち寄りの煮物やデザートが並び、豪華なガーデンパーティーとなりました。太陽の下で、自ら育てた野菜料理を仲間とともにいただくのはまさに至福の喜びです。

この日は、会員さんの友達や家族をはじめ、近所の方も来られ、ランチは昼から夕方近くまで続きました。飛び入りゲストのアメリカ人ブレットは、ポートランドのエコビレッジに住んでいたという青年。アメリカでは60年代のヒッピー運動の中でエコビレッジが生まれましたが、最近は環境負荷の低減などより目的化したコミュニティが増えているそうです。人間関係の難しさはお国が変わっても同じとみえ、コミュニケーションやグループワークに関するエクササイズを積み重ねていると話してくれました。

2011年8月21日日曜日

パーマカルチャーって何?



今月の座学のテーマはパーマカルチャー。講師はパーマカルチャーセンター・ジャパン理事であり、建築家の山田貴宏さんです。

パーマネント(持続可能な)+アグリカルチャー/カルチャー(耕作・文化)という英語の造語で、オーストラリアの生態学者が提唱した理論。自然界では無駄なもの、廃棄されるものは何もなく、お互いにつながり、すべてのものが有用であるという原理原則に基づいています。もちろん、そんな外来の概念に頼らなくても、日本には里山や農村の伝統文化の中に、そのような暮らしの知恵やデザインはたくさんあります。江戸時代の日本が完璧な循環社会だったことはよく知られています。人間の排泄物を含め、すべての物質をリサイクルし、上手に資源として活かしていました。当時の日本を訪れた欧米人はそのことに痛く感動したと言います。近代都市化の過程で、大量生産、大量消費の経済が台頭し、「安い、速い、うまい」を追求した結果、さまざまな資源が分断され、大量の無駄を生みだす社会になってしまいました。当然、その時代とは人口など社会環境が大きく異なりますから、それをいきなり復元するのは難しいけれど、都市なり農村なり、それぞれの環境における土地利用や生活の中でできるだけ再生していくことはこれからの課題でしょう。

パーマカルチャーは自然環境に配慮することはもちろん、人間への配慮、そして余剰物を共有するという考えをベースにもっています。生態系の保全という視点にとどまらず、また単純に昔のシステムへの回帰ということでもなく、現代の科学知識も活かし、経済的な持続可能性や社会的正義を含めたデザイン体系としてあらわされている点に着目したいと思います。パーマカルチャーを「スパイラルガーデン」や「チキントラクター」など個々の装置やデザインとしてとらえている人が少なくありませんが、それはあまりにも狭小な理解です。それぞれの地域や土地によって資源も異なり、つながりもさまざまです。ただ装置を並べただけの仕組みは、むしろパーマカルチャー的ではないと言えるのではないでしょうか。

山田さんは、ご自身の専門である建築でもこのパーマカルチャーの理論を応用されています。最近は神奈川県藤野の里山長屋暮らしプロジェクトをプロデュースし、自らも住民としてかかわって、メディアの話題を呼びました。4所帯の家族が長屋スタイルで住み、コモンハウスを持つことで資源や施設、スペースを共有するコレクティブな暮らし方が特徴です。設計段階から住民が100回に及ぶ話し合いを重ね、土壁や竹小舞の制作など建設にも住み手が参加して作った手作りの住まいです。思わず「あんな家に住みたいな~」という声も。

この日は、レクチャーの後に、パーマカルチャー理論の理解を深めるために、簡単なワークショップに挑戦しました。現在のコモンハウスおよび周辺環境の中から資源をリスト化し、アイテムデザイン(こんなものを作りたいという住民の希望)とのマッチングをするというワークです。短時間だったのに、面白い案がたくさん出てきました。風や雪、スギナなど一見ハンディと思われる要素も、積極的に活用することで解決しながら利点にもなりそうです。本番エコビレッジの建設計画でもぜひトライしてみたいと思います。