ちなみに1年目は27人が参加して同等の成績。昨年は3割減の面積を19人で行って4時間で終了しました。あのときは、半袖で作業していた人もいたくらいぽかぽかと温かく、もちろん地面は乾いて最高の条件でした。今年は泥沼の中を一歩一歩足を抜きながら歩くという最悪のコンディションですから、8割の結果は好成績だったのではないでしょうか。濡れた稲束を藁で縛るのは難しかったけれど、みな初めての頃よりずっと上手になっています。途中、弱音を吐いていた人も、「みんな一緒だから頑張れた」と最後は笑顔。
農業は言うまでもなく自然相手の仕事です。近代農業は施設や機械の導入で、人間のコントロール領域を拡大させましたが、それでも自然の圧倒的な力には最終的には敵いません。規模も大きく、販売の条件があるプロ農家と異なり、自給農家は比較的フレキシブルに行うことが許されますが、それでも作業には適期というものがあります。北海道の短いシーズンで(たとえ自給でも)十分な収量をあげようと思ったら、人間の都合にばかり合わせることはできません。どんなに丹精こめて育てても、自然の猛威によって一度に台無しにすることも・・・。自然への敬意と畏れを常に感じながら、作物をじっくり観察して、その育ちを助けることが私たちの役目。その恵みをいただくには、優しいお天道様とるんるんの日々だけではない、風雨に打たれて働く日だって当然あるのです。そのような体験を重ねながら、私たちひ弱な人間の心身も鍛えられるのだなと感じます 。
それにしても、昔の人はこの半分の面積をたった一人で刈ったというのですから、何という体力!私たちなど、およそ足元にも及びません。もっとも、そうしなければ食べるものがなかった時代と、いざとなれば買えると思っている今の時代では食べ物を作ることの意味が大きく違うのでしょうけど。近所の農家のお母さんが、昔、月夜の明かりではさがけをしたという思い出話をしてくれましたが、人間、真剣に食べ物を得ようと思ったら暑いの寒いのと言っては要られないはずです。食べ物が簡単に手に入るというのは近代都市住民の勘違い。そういう姿勢はつくづく戒めなくてはいけないと思います。同時に、そのような社会環境のつけのように食糧問題が重要となっている今の時代において、改めて地域で自給を目指すためのスキルや仕組みを再構築する必要があるなと思いました。
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