2011年9月4日日曜日

鶏を食べるためには

去年もそうだったけれど、屠畜実習の直前は、何とか自分はやらないで済む理由を探していました。会員さんの中には、このことが3日も前から気になって夢に出てきたという人も。映像などで見たことはあっても、やはり他の生き物の命を落とすという行為は誰もがためらうことです。ただ、「残酷、気持ち悪い」という感覚だけでこの作業をとらえてはいけないと思います。少なくとも動物の肉を食べている人たちは、必ずその前にこの作業があること、それを担ってくれる人のお世話になっていることを自覚する必要があると思うのです。そう思って、「私も1年に一回くらいはやるか・・・」とこの日も参加しました。

今日の講師はファームレラ(東川町)の新田由憲さん。実習用の鶏8羽は、メノビレッジからいただいてきました。2歳くらいのまだ比較的若い鶏ですが、一般の養鶏業ではもっと若くても産卵のペースが落ちてくると廃鶏になるようです。一人一羽ずつ、次の人に身体を押さえてもらいながら首を落としました。新田さんのリードはてきぱきとしていて、深刻な顔の受講生の緊張を解くようにスピーディーでした。おかげで、私自身はあまり恐怖感を覚えずに作業として鶏に向かうことができました。とは言え、鶏が必死にもがいて泣く声にみなしっかりと「生命」の手ごたえを感じたはずです。「ごめん!」という声が思わずこぼれました。「生き物を飼って肉にするって、相当な決意と覚悟が必要なんだと感じました。そして体力と手間がかかるのですね」と参加した女性。

首を落とした鶏の血を抜いて、お湯につけて毛をむしります。毛がなくなると生き物の死体が次第に肉に見えてくるから不思議。次に、手足を取り外し内臓をきれいに外に出す壺抜きの作業をします。腸や胃袋、ちゃんと殻に入った卵も出てきました。新田さんが「これが心臓、これが砂肝・・・、砂肝を割ると中に食べたエサが見えるだろう」と解説してくれるのが理科の解剖実習のようで、気持ち悪いという印象がなくなりました。(ちなみに、ここまで業者さんに頼むと一羽500円ですって!)その後は部位ごとに切り分けていく作業を行いました。この辺は料理感覚です。それにしても、ここまでの工程の長かったこと。私たちが3時間近くかけて行った作業を、プロの業者さんはあっという間に行うそうですが、それでも決して楽しい仕事ではないですよね。



最後に燻製にした手羽を食べました。参加者の一人は「終わってからすぐ肉を食べていた自分にびっくりした。人間の食欲って怖いなとも思いました。でもこれが生きる事なんだよなと、自分の命も無駄にしてはいけないと感じました」と感想を述べています。鶏の命はもちろん、飼っている農家さんの努力、食べられる状態にする人たちの大変さをしみじみ感じながらみなで食しました。この体験の後では、宴会に山盛り出てくる焼き鳥は安すぎると感じるし、ましてそれが手もつけられずに捨てられる光景は耐えられないものになりますね。私にとって、屠畜はやっぱり辛い体験ですが、自分が食べている物をちゃんと味わうために重要な儀式みたいなものでしょうか。











新田さんは終始丁寧に解説をしてくれました。もちろん、慣れている仕事だけれど、「やっぱり好きじゃない」そうです。新田さんは、現在は養鶏家として、またファームレストラン「風土」の経営者として知られていますが、もともとは環境運動家で反原発や再生エネルギー、エコツーリズムなどいろいろな活動を先駆け的に実践してこられました。午前中の家畜の講義では、私的には、鶏の飼い方や課題以上に、新田さんの環境問題への取組み=彼の生き方、暮らし方であることに感激して聞いていました。環境問題は今でこそもっとも注目を浴びるテーマとなり、ソーラーパネルやエコ家電が一躍人気者になっていますが、使っている人々の生き方は反映しません。新田さんの歴史は、エコロジカルに生きるということがどういうことか、それもカスミを食べて引きこもっている仙人のような生き方ではなく、社会を変えていこうという運動家としての精神が一貫して見られます。「諦めず、今日コケないこと」がコツだと新田さん。高い理想に到達するために、今何をしたらいいかというバックキャスティング的な発想や、そのために一時的な戦略や妥協も必要だという点もエコビレッジを進める上での参考になりました。

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